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2008年12月07日

困惑②

ボクが「自我が蝿になってしまう」と言う、
ある種の恐怖に襲われてから、それなりの時間が過ぎた。


あれから、ボクは元に戻る方法を一生懸命に考えた。

しかし、考えてみても、
こうなった原因がわからない以上、解決策が浮かばない。

それに、そもそもが元に戻ったら死んでしまうのだ。
だって、ボクの肉体そのものは死んでしまっているのだから。


・・・ボクは、元に戻るなどという幻想はそうそうに捨てた。


ちなみに、蝿と人の感覚が違うから、「ボク」が死んだと勘違いしているのでは?
・・・なんて、間抜けだけど、救いようがある話は「ありえない」。

ボクの死体を発見した両親によって、ボクの死体は葬式にまわされたからだ。

・・・いや、これはあくまでボクの主観だからそうなるんだけど、
実際は、「ボク」は死んだこととされ、葬式をあげられ、火葬までされたんだ。

自分の葬式を見ると言う、ある意味では誰もできないような体験をさせてもらったわけだが、
誰もできないようなことだからか、イマイチ現実感に乏しく、どこか夢を見ているようで、
焼かれて灰になった今となっては、本当に「ボク」が死んだのか疑わしいものだった。

だが、客間には仏壇が備え付けられ、そこにはボクの遺影がある。
そして、父さんと母さんは毎日絶望したような顔でボクの遺影を拝んでいる。

・・・その姿を見て、「ボク」と言う「人間」が死んだことを始めて理解したんだと思う。


だから、ボクは「ボクがボクでいられる」ように、
蝿としての行動を避け、極めて人間らしくあろうと考えるようになった。


でも、現実と言うのは、やはり残酷だ。


人間らしくあろうとするボクは、
人間であったボクの部屋に留まろうと思った。

それが、根本的な間違いだった。

ボクは、両親からハエタタキと殺虫剤と言う歓迎を受け、
命からがら「自分の部屋」から逃げ出し、「外」に追い出された。

・・・考えてみれば、両親にとっては、ボクはただの蝿だ。
どんな妄想をすれば、「この蝿が息子の生まれ変わりだ」などと考えられるだろう?

そりゃ、「死んだ息子」の部屋にいる蝿など、気に入るわけがない。

それこそ、ゴミや虫を見るような目でボクを見て、
それこそ、ゴミや虫を殺すようにボクを殺そうとした。

・・・人間としてのボクには、とても耐え難いことだ。

でも、今のボクは「仕方が無いか」と納得しつつある。
・・・そう、ボクは、もはや「人間としてのボク」とは言えないのかもしれない。



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Posted by landmale  at 22:35 │Comments(0)小説

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